市川典男の経歴が衝撃的!嫁や子供や家族構成は?4代目社長になった理由や実績がすごい!

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市川典男さんは、象印マホービン株式会社の代表取締役を務める人物です。

42歳のときに4代目社長となり、2023年現在も活躍しています。

当記事では、市川典男さんの経歴やご家族、4代目社長となった理由や実績についてまとめました。

目次

市川典男の経歴が衝撃的!

市川典男さんは、1948年創業の象印マホービン株式会社の4代目社長です。

プロフィールはこちらです。

名前:市川典男(いちかわ のりお)
生年月日:1958年5月10日
年齢:64歳〜65歳(2023年現在)
出身地:大阪府八尾市
中学校・高校:甲南中学校・高等学校
大学:甲南大学経済学部(1981年卒業)
趣味:観劇
座右の銘:真意と真因
尊敬している人:父

市川典男さんは大阪府八尾市で誕生。

自宅の敷地内に自社工場があり、父(2代目社長・市川重幸さん)が仕事をする姿を見ながら育ちました。

甲南大学在学中にはアメリカ留学を経験。

大学卒業後に象印マホービン株式会社に入社しました。

1998年に取締役に、2001年・42歳のときに社長に就任しました。

市川典男の学歴

市川典男さんは、兵庫県にある甲南中学校・甲南高等学校を卒業後、同じ甲南グループである甲南大学経済学部に進学しました。

甲南学園の偏差値
・甲南中学校 58
・甲南高等学校 57
・甲南大学  47.5〜50

甲南学園は1919年に創立された歴史ある学校です。

小学校から大学まで同じ学園に通っていたということは、学園の理念や教育体制などが市川典男さんにすごく合っていた、ということかもしれないですね。

市川典男の嫁や子供や家族構成

市川典男さんには、妻と2人の息子がいます。

妻は早嶋律子さんです。

律子さんは大阪と東京で展開している旭屋書店の社長を務めていた早嶋健さんの長女です。

顔画像やプロフィール等は公開されていません。

市川典男さんと律子さんの間に生まれた2人の息子は双子であり、名前は

長男:市川昌宏さん  次男:市川泰宏さん

です。

1988年生まれなので、2023年現在は35歳であることがわかります。

2023年現在、象印の役員一覧にお2人の名前はありませんが、大株主一覧には名前がありました。

象印は初代から4代目の市川典男さんまで一族経営です。

初代:祖父の市川銀三郎氏
2代目:父親の市川重幸氏
3代目:叔父の市川博邦氏

将来的には昌宏さん、泰宏さんの2人が市川典男さんの跡を継ぎ、象印の事業を展開していくのかもしれませんね。

市川典男が4代目社長になった理由や経緯がすごい!

市川典男さんは創業者の孫であり象印の4代目社長です。

自宅で父が働く姿を見て育ったため、市川典男さんはいずれは父の後を継ぐ、という意識があったのだそうです。

また、市川典男さんの経営者としての原点になったのは、甲南中学入学と同時に入部したテニス部でのマネージャー経験です。

甲南学園のテニス部は日本一を目指すレベルであり、市川典男さんはプレイヤーとしてはレベルについていくことができませんでした。

高校に進学した頃からはテニス部のマネージャーを務めるようになった市川典男さん。

マネージャー業は、スケジュール管理や経理、学校外との連絡など、プレー以外に大切なことを担当し管理する仕事です。

マネージャー業で培ったことが、経営者としてのスキルにもつながっているのだといいます。

大学3年性のときには大学日本一を決める団体戦でテニス部の優勝に導いたという市川典男さん。

象印の発展に当時のマネージャー経験が大きく役立っていることがわかります!

市川典男の象印入社後の実績がすごい!

市川典男さんが象印入社後に最初に配属されたのはシステム開発部署でした。

市川典男さんは、当時は大手企業などがまだ取り入れていなかった社内システムのオンライン化を手がけました。

市川典男さんは入社時に、社内全体を知れる管理部門からスタートせず、システム開発部署に配属となったことを意外に思ったそうです。

しかし、システム開発部署で2年ほどで積んだ経験はとても貴重なものになったと語っています。

市川典男さんは名古屋支店長を務めていたことも。

支店長時代には「空いている時間に名古屋中の小学校に電話をして遠足と運動会の日を調べなさい」と部下に指示。

遠足や運動会の1週間前からステンレスボトルを周囲のお店で展開できるよう、営業しなさいと指示を出していたのだそうです。

システムの開発だけでなく、営業マンとしても優秀であったことがわかるエピソードですね!

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